元禄と江戸 きものの変化

今回は、文化的な背景のお話です。

私達の概念の江戸風江戸時代の着付粋の文化と変化していったのは、元禄以降です。 同じ江戸時代なのですが、元禄以降幕末までをここでは江戸と言わせてせて頂きます。

元禄のきものの形は、小袖で袖底に丸みのある袖でした。

初期の小袖は身幅も広く男女ほぼ同じ形の対丈[ついたけ・くるぶしまでの長さ]で、女性用は次第に袖丈や身丈が長くなり、外出時には抱え帯[幅6cm位の平の帶で現在は花嫁や七五三などで帶の上から装飾の一つとして使います] で、たくし上げて着ていました。 これが後におはしょりとなったそうです。

柄は、多様な文様で 総鹿の子の小袖や 全面文様、大柄が多く、かなり派手で色彩も鮮やかであったようです。

そして、越後屋 (後の三越)が布を切り売りした事から、袖口に別の布をかぶせる袖覆輪[そでふくりん]が流行りました。

縞模様や江戸小紋は 江戸になってからの物で、粋な美意識の確立と共に好まれた柄で色も茶、鼠、黒などが江戸元禄と江戸では流行しました。

元禄初期の帯は、幅の狭いものであったようです。 結びも突込帯[つっこみおび]といって 帯の端を巻き付けて 帯の間にはさみ込んだ簡単なものか、花結びくらいでした。 また、結ぶ位置も紐の代用として 前や脇で結んでいました。

歌舞伎役者の上村吉弥が、広幅帯を結んで舞台に出た事がきっかけで、広幅の帯が流行ってきます。 今の九寸幅が基準となったのは、亨保以後(1716年〜)からです。 男性も文庫結び(箱結び)で、貝の口は江戸になってからのものです。 また、献上柄の帯も元禄にはなかったようです。

見返り美人

着方は 髪の結い方とも関係があり、江戸になると髱 [たぼ・えりあし]がかなり下がってくるので、きものの衿に髪油がつくのをきらったため、次第に衣紋[えもん・えり]を抜く、下げるようになってきたようです。

元禄の浮世絵などをみると下げ髪や結い上げがありますが、 結い上げの場合でも髱が江戸と比べかなり上がっているのが分かります。 衣紋を抜かなかったり、抜きが少ないようです。

このように、着物は時代の背景と共に変化をとげ、髪型が変われば着方も変わってきています。

近年、元禄時代同様バブルがはじけ、江戸の時期に近い感覚ではないでしょうか。 ミニ丈の浴衣、ガングロや圧底靴も日本独自のファッションです。 今のファッションが、数十年後平成の時代考証となるのでしょう。

*見返り美人(右下の画像) : 花丸模様の振り袖に吉弥結び ・ 元禄を代表する着方