メイクアップラボ・きもの#04
元禄と江戸きものの変化
今回は文化的な背景が話題です。
私達の概念の『江戸風〜江戸時代の着付〜粋の文化』と変化していったのは、元禄以降となります。同じ江戸時代ですが、元禄以降幕末までをここでは『江戸』と言わせてせて頂きます。
元禄のきものの形は、小袖で袖底に丸みのある袖でした。
初期の小袖は、身幅も広く男女ほぼ同じ形の対丈(ついたけ・くるぶしまでの長さ)で女性用は次第に袖丈や身丈が長くなり、外出時には抱え帯(幅6cm位の平の帶で現在は花嫁や七五三などで帶の上から装飾の一つとして使います)で、たくし上げて着ていました。これが後に【おはしょり】となったそうです。
柄は、多様な文様で総鹿の子の小袖や全面文様大柄が多く、かなり派手で色彩も鮮やかであったようです。
そして、越後屋 (後の三越)が布を切り売りした事から袖口に別の布をかぶせる袖覆輪【そでふくりん】が流行りました。

縞模様や江戸小紋は 江戸になってからの物で、粋な美意識の確立と共に好まれた柄で色も茶、鼠、黒などが江戸では流行しました。
元禄初期の帯は、幅の狭いものであったようです。結びも突込帯【つっこみおび】といって、帯の端を巻き付けて帯の間にはさみ込んだ簡単なものか花結びくらいでした。また、結ぶ位置も紐の代用として 前や脇で結んでいました。
歌舞伎役者の上村吉弥が、広幅帯を結んで舞台に出た事がきっかけで広幅の帯が流行ってきます。今の九寸幅が基準となったのは、亨保以後(1716年〜)からです。男性も文庫結び【箱結び】で、貝の口は江戸になってからのものです。また、献上柄の帯も元禄にはなかったようです。
着方は、髪の結い方とも関係があり江戸になると髱【たぼ・えりあし】がかなり下がってくるので、きものの衿に髪油がつくのをきらったためもあり次第に衣紋【えもん・えり】を抜く、下げるようになってきたようです。

元禄の浮世絵などをみると下げ髪や結い上げがありますが、結い上げの場合でも髱が江戸と比べかなり上がっているのが分かります。衣紋を抜かなかったり、抜きが少ないようです。
このように、着物は時代の背景と共に変化をとげ、髪型が変われば着方も変わってきています。
近年、元禄時代同様バブルがはじけ、江戸の時期に近い感覚ではないでしょうか。ミニ丈の浴衣、ガングロや圧底靴も日本特有のファッションです。今のファッションが数十年後平成の時代考証となることでしょう。
*見返り美人画:花丸模様の振り袖に吉弥結び・元禄を代表する着方です。
モデル:Asako Hirano